2018年05月06日

和声感覚

元々、数学のような答えがあるわけでもないので、脳ミソ取り替えてみる事でしか解らない世界。
それが出来ない故に、理論に頼ることにもなる。
結論を先に言うと、和声理論は、音楽制作の助けにはならない。
助けになるのは、楽曲が出来上った後になる。
制作の助けにならないのだから、それは凡庸な駄作である事を証明する助けになる、と言う事。
後付け、と言うのは、音楽は聴く事と作る事でのみ感覚が養われ、それを最後に確定するから。
もう一人の自分が、それは違う、と囁くなら、(私は囁かないけど)その、もう一人の自分は、音楽を作る側の一人ではない。
なので、音楽理論は和声に限らず、大事な役割がある。
本当に大事なのは、曲を作る直前なのか、後なのか?
聴くしかない。
作るしかない。
posted by musf at 00:36 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月29日

新曲、その他、作業状況

保留中の1曲を修正してSoundCloudにアップ。ちょっと毛色の違いで今のところSoundCloudだけに。
SoundCloudはWindows2000では表示もされないのでXPでアップ。なかなか面倒;;

大昔の古い曲を作り直してみたのもあるけど、これは保留。

Monologueを修正。音圧関連。意外に歪んでるので修正。

新曲は3曲あって並行作業中。9割はできているけど、ここからが大変。

もう枯れてるんじゃないか、という思いもある曲作りだけど、そうでもないみたいで、いくらでも作れる。
だけど、長時間作れない。1時間以上は息が持たない。

新しい音楽は、もう出尽くされて・・・なんて言う人もいるけど、それは本人が枯れているだけだろう。
先は、果てしなく長い。
posted by musf at 08:32 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月28日

アナログレコードの誤解

アナログレコードの人気が続いているようで、今日の新聞にも取り上げられていた。
読んでると、なんか違うんだよなぁ、という思いがあって、ちょいと書いてみる。
新聞には、【再生できる音域の例】というグラフがあって、CDが22kHzに対しレコードが100kHzとの表示。
確かに理論的には間違ってないけど、全てのアナログ盤が、こうなっているわけじゃない。
ダラ下がりに100kHzまで伸びているというのは考えられないぐらい特殊な盤だろう。
そんな性能のマイクやテープレコーダーも聞いたことないし。それを再生するカートリッジやスピーカー、ヘッドフォンも無いに等しいだろう。
世の中には、理論的に正しいという根拠で、0.1%が99%の印象に置き換えられるということが多くある。
健康食品や、こういう使い方が正しい等々、みんなそれで軽く操られているのでは?

通常、アナログレコードを聴いていて、明らかに高周波が出ていると感じることは少ない。
CDでも、限界まで綺麗に記録されているのは希。
ギラついた感触を嫌い、まろやかな味つけのマスタリング弊害もある。多くはこれ。
アナログレコードで最も多くの高周波を生むのは、プチノイズだったりする。
ゴーという低周波も意外と忘れられているし。
アナログレコードが実は補正音源というのも忘れられている。(低域はそのまま溝に刻めない−RIAA規格)
音的にはマイナスな規格で、レコード音質というのが、これで作られていたりもする。
中低域の膨らみが、やや減り、聴感上とても聴きやすい、というのがプラスな面。
アナログレコードには多くの魅力があるのだけど、それがCDより勝っているという比較は、もういい加減にしてほしいところ。
別物なんだから。
そして、それによってCDという規格が冷たいデジタル音という間違った印象で扱われるのも、いい加減にしてほしい。

CDとレコードの比較記事について
ネット上には多くの記事が散乱しているけど、この違いの殆どは、アナログとデジタルの違いでも、規格の違いでもなく、
マスタリングの違い!
デジタルになったら、音はどう変化するのか?
それをハッキリさせるのは、アナログレコードの音をデジタル回路を通して聞けば解る。
1.アナログレコードのまま再生、2.途中でデジタル回路を通す(自分でデジタル録音44.1kHzしてもよいけど)
この違いは、まず解らないはず。
当たり前でね、そんな色づけされたらデジタルにする意味もない。

全ては、小さな理論を元に大きく印象を与えようとする、人間の意図なのよね。
posted by musf at 07:34 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月25日

音の流れ

Aメロ、Bメロ、サビのように音楽は流れていくのだけど、サビが良いからといって、サビだけ聴けば良いとはならない。
そのサビを活かしているのがA、Bメロの役割だったりするから。
何かを良いとするとき、必然として、あるべき下地がいるわけ。当たり前の事だけど。

これは一曲の中で起るだけではない。時代の流れの中でもある。
極端な話、1000年前の人に、今の楽曲を聴かせても、まったく理解できないと思う。それがどんなに名曲であっても。
時の流れで音楽は作られる。人が生まれ育ち、その過程で音楽というものの下地を含め養われていくため、それを省いた1000年前の人には理解できないはず。

音楽を感じ取る下地を養うというのは簡単ではない。
そのための教育もない。
自然にそうなる、というのが時代の役割なのかもしれない。

人は、自分の頭のなかに定住しているAメロが常にあり、次のBメロやサビを求めているだけ。
それ以外は受け付けない。それを好みと思っている。
受け入れる音楽の範囲を広げるというのは、自分の好みに反することにもなり、容易ではない。

聴き手は、それで良くても、作り手が、それで良いのか?
駄作のAメロだけが頭に常駐していたらどうなる?
な〜んて事を考えつつ、音楽を聴くわけ。
posted by musf at 09:56 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月21日

脳の情報

何かを見た時、考えるという自覚なしに脳が勝手に情報を検索処理している。
感じている、という事も含め、無意識の情報処理なのかもしれない。
”考える”事が前提の知能で、それを検証することはできないから、語られることもないだろうけど。
自分の心に深く問いただせば、自覚できるはず。

雑多なモノに溢れている部屋で、どこに何があるか、本人にだけ解っている。
脳の記憶と繋がっていて、視野に入るたびに、検索モードで脳は活性化してもいる。
整理整頓で、何もかも棄ててしまえ、というのが一時期流行ったけど、これは脳が萎縮するだけw
認知症になるのが速いかもしれない;;

レコードやCDが並んでいて、さて何を聴こうかと選択するのは、スマホやPCで、タイトルだけで検索するより、脳内で多くの情報処理があるように思える。
書籍でも同様だし、手書きのメモなら、その形状も含め、多くの意外性と同居している。
そのモノや形状に圧縮された情報が詰っているのだ。デジタルデータには、その意味以外には何も無い。
便利さの裏に、失われるものがある、という事に気がつかないと、隠れた発想やアイデアは萎縮してしまうかもしれない。

雑多で汚れて汚い部屋は、たとえ僅かでも、人間の無意識の世界と、どこかで繋がっている。
形として見える、それは、たとえ僅かでも、人間の心の安定と拘わっている。
posted by musf at 05:35 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月14日

今やってること

たとえば、自分の曲がデータを含めて消失し、もう一度最初から作り直せるかというと出来ない。
記憶を頼りに再現された曲って、生きた音楽にはならないから。
微妙なエフェクターの加減も、対位法的な構造も、それはその瞬間に生まれる。
曲は時間として一方通行。振返ってはいけない。だけど、過去の曲を今という時間で開始点を得れば、生まれ変われる。
生きた時間の一方通行は、理論では得られない。
posted by musf at 15:12 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月24日

ブラームス

音楽をどう捉えるかは、人それぞれで、嗜好の度合で評価して何が悪いと開き直るのも勝手な世界。
何が良くて何が悪いのか、正解も無い。
自分が持っている一つの基準は、曲作りという過程では確実に何が良くて何が悪いかは存在する。
凡庸な発想からは行く事の出来ない世界がある。
この点から次の点への驚嘆、それがどんなに優れたものであっても、音楽に於ては一つの流れにしかすぎない。
今鳴っている既存の音楽、単なる名曲の一つ。
嗜好という入口で始末されてはダメで、スコアを見て分析できるものばかりではない。
だから音楽は不思議なもので、
この文章のはじめに戻ってしまう。

稚拙な解釈がいくらあっても、それは仕方ない。という事か。
でも、敢えて言わせてもらえば、
自分を信じすぎてはいけないし、スコアを(視覚的に)信じてもいけない。
posted by musf at 01:43 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月10日

330gが1歳半で2kgに成長

このタイトルを見て、ヘッドフォンの事だと思う人は、まずいないだろう。
そう、わが家のT70改は、あり得ない重さと奇っ怪な姿へと変貌している。もうヘッドフォンとは言えないかも。
テスラドライバーは、磁力が強くなった分、余裕のある再生・・・なんてものじゃなくて、そのドーナッツ形状も含めて、既存のヘッドフォンの領域を超えていた。
とてつもないバック反射があって、箱鳴りという欠点を生んだ、のではなく、それを”消化し”音へ反映するために、この重さと姿が必要だったと、自分では思っているわけ。
本家Beyerdynamicは、ドーナッツ穴を塞いだり、軽量弱体化させているけど、ヘッドフォンとして製品化させるためには仕方ないのかもしれない。わが家のT70改は私以外、誰にも望まれていないだろうから。

ヘッドフォンでもスピーカーでもない形態は、娯楽のための音楽再生というより自分が求める究極の音再生なわけで、それは以前にも書いているけど、録音された音というのは(まあ、シンセのような直形態もあるけど)マイクの振動によって電気化されたもの。その振動に最も近いのがヘッドフォンのドライバ構造となる。
マイクとヘッドフォン両方を販売するメーカーが多いのも、その証し。
マイクの微弱な振動に比べ、再生のヘッドフォンは、より大きな振動が必要で、その差分のようなものが、リアルな音再生にとって問題となる。
(スピーカーは同じ振動ではあるけど、より大きなエネルギーを得るため、音の性質も変化する。エンクロージャーでの増幅、部屋そのものでの反射等々。)
(再生音に対する考え方は人それぞれで、何が正しいか、なんてものはなく、個人的な考え方)

テスラドライバーによる強化は、より強い振動でマイナス差分が多くなるだけ?ではなく、バック反射での形態により、振動を吸収し(改造により)、よりマイク振動に近いリアルさが生まれているのではないか、というのが推測。
それは、とても複雑なわけで、理論ではなく、聴感上で、その方向性を探り、どんな形状のものを、どれだけ付ける事で音は変化するか、という試行錯誤。

そこで、いったい何が聴こえてきたのかというと、それは微細な音たち。弱音なのね。
意外かもしれないけど、音が変化するのではなく、塞がれていたものが前へ出るという結果。
テスラにより、音を強くすると、より多くの振動範囲を持ち、強い音はバック反射領域へ、なだれ込む。
小さな弱音は、最初から後ろへはいかず、前面へ出てくるわけ。(これも推測だけど)

デジタル録音に於て、多くのCDがそうであるように、弱音は虐げられている。みんな強い音だけで満足しているから。
T70改で生きてくる弱音、その領域(高周波成分)を、より持ち上げると、信じられないようなリアルさが聴こえてくる。それがマイク振動の捉えた微細な振動に近いという事になる。

音というのは、必ず減衰していくわけで、その姿をはっきり捉えるというのは、その場所の空間そのものが、何であるか、というのを記録してもいるわけ。
音楽というものを、どう感じ取るかという意味でも、それはとても重要で、実際、うろたえてしまう程、自分が感じ取ってきた、今までの音楽との違いに驚くことが多い。
posted by musf at 06:33 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月03日

頭の中で鼻歌のように旋律をなぞる、という音楽の聴き方

例えば、バルトークの「中国の不思議な役人」、30分ほどの曲だけど、集中力を途切らず聴き通すのは難しい。雰囲気でしか聴かない人は別として、そこで何が表現されているのか、音楽的に把握するのは重要なこと。
そこで、曲を聴きながら頭のなかで旋律を反復する。鼻歌のように。正しい必要はなく、時間の先端の一点に集中しているのが目的。
予め旋律を知っている必要もなく、ちょっと遅れたショートディレイのごとく頭の中で反復すればよい。
作者が旋律を頭に描いて譜面に書き起こす時も、そんなもんなわけで(その精度はともかく)それを演奏し録音されたというのを逆算して、鼻歌に戻すと考えれば納得できるかも?。
古い民謡を集めていたバルトークは、どこか鼻歌的とも思える旋律体形があり、どんなに複雑化しても構築されていく音楽の断片というかパーツの有り方を知る事ができる。
聴き進めていくと、ある時、リズムとの兼ね合いでゾワっとする瞬間があって、あぁ、これって作者自身もゾワって来てるはずだ、なんて思ったりする^^
作者が何を表現しようとしているのか、その音楽の本質を少しでも掴めれば、作り手として何らかの反映があるはず。
posted by musf at 17:30 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月27日

当たり前の事をもう一度理解する

音楽を聴いていて、それを良いと思う時、それは作者の意図した事である。
と、当たり前の事。
もうちょっと深く考えてみる。
良いと思わないなら?
(1)自分の好みと違う。
(2)自分の理解が足りない。
多くの人は(1)であろう。これを徹底すると、自分の好みの範囲を出る事はない。それで一生を終える;;
それは自分の個性でもあり、何の問題もない。
そう思っていたら、
良くないはずの曲が、ある時、良く聴こえてきたら、
作者の意図が、より多く伝わってきたことになる。
(2)をもっと意識するべきだった、そう思う。でも(1)を見失うかもしれない。
結局、どちらも大事だと認識する。

良いと思うなら、それ以上はない。
良いと思えないなら、何かが隠れているかもしれない。そういう姿勢。

最近、自分の理解力(音楽)の足りなさに思い知る。
一個人に見える音楽の世界は、とても小さい。
どんなに喘いでも、それは変らないけど、何かを見つけたときは・・・
posted by musf at 05:29 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



END2