2018年03月10日

330gが1歳半で2kgに成長

このタイトルを見て、ヘッドフォンの事だと思う人は、まずいないだろう。
そう、わが家のT70改は、あり得ない重さと奇っ怪な姿へと変貌している。もうヘッドフォンとは言えないかも。
テスラドライバーは、磁力が強くなった分、余裕のある再生・・・なんてものじゃなくて、そのドーナッツ形状も含めて、既存のヘッドフォンの領域を超えていた。
とてつもないバック反射があって、箱鳴りという欠点を生んだ、のではなく、それを”消化し”音へ反映するために、この重さと姿が必要だったと、自分では思っているわけ。
本家Beyerdynamicは、ドーナッツ穴を塞いだり、軽量弱体化させているけど、ヘッドフォンとして製品化させるためには仕方ないのかもしれない。わが家のT70改は私以外、誰にも望まれていないだろうから。

ヘッドフォンでもスピーカーでもない形態は、娯楽のための音楽再生というより自分が求める究極の音再生なわけで、それは以前にも書いているけど、録音された音というのは(まあ、シンセのような直形態もあるけど)マイクの振動によって電気化されたもの。その振動に最も近いのがヘッドフォンのドライバ構造となる。
マイクとヘッドフォン両方を販売するメーカーが多いのも、その証し。
マイクの微弱な振動に比べ、再生のヘッドフォンは、より大きな振動が必要で、その差分のようなものが、リアルな音再生にとって問題となる。
(スピーカーは同じ振動ではあるけど、より大きなエネルギーを得るため、音の性質も変化する。エンクロージャーでの増幅、部屋そのものでの反射等々。)
(再生音に対する考え方は人それぞれで、何が正しいか、なんてものはなく、個人的な考え方)

テスラドライバーによる強化は、より強い振動でマイナス差分が多くなるだけ?ではなく、バック反射での形態により、振動を吸収し(改造により)、よりマイク振動に近いリアルさが生まれているのではないか、というのが推測。
それは、とても複雑なわけで、理論ではなく、聴感上で、その方向性を探り、どんな形状のものを、どれだけ付ける事で音は変化するか、という試行錯誤。

そこで、いったい何が聴こえてきたのかというと、それは微細な音たち。弱音なのね。
意外かもしれないけど、音が変化するのではなく、塞がれていたものが前へ出るという結果。
テスラにより、音を強くすると、より多くの振動範囲を持ち、強い音はバック反射領域へ、なだれ込む。
小さな弱音は、最初から後ろへはいかず、前面へ出てくるわけ。(これも推測だけど)

デジタル録音に於て、多くのCDがそうであるように、弱音は虐げられている。みんな強い音だけで満足しているから。
T70改で生きてくる弱音、その領域(高周波成分)を、より持ち上げると、信じられないようなリアルさが聴こえてくる。それがマイク振動の捉えた微細な振動に近いという事になる。

音というのは、必ず減衰していくわけで、その姿をはっきり捉えるというのは、その場所の空間そのものが、何であるか、というのを記録してもいるわけ。
音楽というものを、どう感じ取るかという意味でも、それはとても重要で、実際、うろたえてしまう程、自分が感じ取ってきた、今までの音楽との違いに驚くことが多い。
posted by musf at 06:33 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月03日

頭の中で鼻歌のように旋律をなぞる、という音楽の聴き方

例えば、バルトークの「中国の不思議な役人」、30分ほどの曲だけど、集中力を途切らず聴き通すのは難しい。雰囲気でしか聴かない人は別として、そこで何が表現されているのか、音楽的に把握するのは重要なこと。
そこで、曲を聴きながら頭のなかで旋律を反復する。鼻歌のように。正しい必要はなく、時間の先端の一点に集中しているのが目的。
予め旋律を知っている必要もなく、ちょっと遅れたショートディレイのごとく頭の中で反復すればよい。
作者が旋律を頭に描いて譜面に書き起こす時も、そんなもんなわけで(その精度はともかく)それを演奏し録音されたというのを逆算して、鼻歌に戻すと考えれば納得できるかも?。
古い民謡を集めていたバルトークは、どこか鼻歌的とも思える旋律体形があり、どんなに複雑化しても構築されていく音楽の断片というかパーツの有り方を知る事ができる。
聴き進めていくと、ある時、リズムとの兼ね合いでゾワっとする瞬間があって、あぁ、これって作者自身もゾワって来てるはずだ、なんて思ったりする^^
作者が何を表現しようとしているのか、その音楽の本質を少しでも掴めれば、作り手として何らかの反映があるはず。
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2017年12月27日

当たり前の事をもう一度理解する

音楽を聴いていて、それを良いと思う時、それは作者の意図した事である。
と、当たり前の事。
もうちょっと深く考えてみる。
良いと思わないなら?
(1)自分の好みと違う。
(2)自分の理解が足りない。
多くの人は(1)であろう。これを徹底すると、自分の好みの範囲を出る事はない。それで一生を終える;;
それは自分の個性でもあり、何の問題もない。
そう思っていたら、
良くないはずの曲が、ある時、良く聴こえてきたら、
作者の意図が、より多く伝わってきたことになる。
(2)をもっと意識するべきだった、そう思う。でも(1)を見失うかもしれない。
結局、どちらも大事だと認識する。

良いと思うなら、それ以上はない。
良いと思えないなら、何かが隠れているかもしれない。そういう姿勢。

最近、自分の理解力(音楽)の足りなさに思い知る。
一個人に見える音楽の世界は、とても小さい。
どんなに喘いでも、それは変らないけど、何かを見つけたときは・・・
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2017年12月25日

好きな音とは?

好きな色は何ですか、と聞かれる事はあっても、好きな音は何ですか、と聞かれた事は一度もない。
もし聞かれたなら即座に答えられるぐらい、自分には好きな音があった。
幼少時まで遡るのだけど、それが”靴の音”。
コツコツという音に、ちょいと砂混じりのジャリなんて入ったらなお良い。
子供が履く靴で、そんな音がするのは滅多になく、親に散々駄々をこね、知り合いから、いらなくなった古い革靴を貰い受け、それを喜んで履いていたという記憶がある。
(BeatlesのBlackbirdに異常に反応したのは当然か)
好きな音、それは生の現実音であったものが電気的に記録された再生音へ変わる。
一つの音だったものが、録音されたものになると、再生装置の違いで無限に変化することになる。
その過程は、聴覚が共通感覚ではなくなり、一個人の独自の世界へ移行していく。
自分が他人と同じ音を聴いているという範囲だけで生きていくことはできない事に気づく。
でも、それはたいした問題ではなく、何が必要なのか、という聴覚範囲で困る事はないのだ。
わけの解らない事を言っていると他人に思われる程度で済む。
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2017年12月23日

テオドール・クルレンツィスは天才か否か、春の祭典を聴く

youtubeでダイジェスト版を聴いて、これはとんでもない逸材かと興味を持ち、ようやくCDを聴くことができたので、その感想。
結論は、否でした;;ブーレーズ/クリーブランド超えは、そんな甘いもんじゃなかった。
でもね、これ、聴く価値は十分にある。
まず、良いところは、徹底したオケの制御。何もかも思い通りに操ろうとする指揮者に答えるオケの凄味がある。スコアを細分まで緻密に読み解き制御するかのように。
それが計算されたスコアであって、音楽としての流れとは違うところがダメなんだけどね。
録音も凄く、弱音においても精密であり、また、スタジオ内のノイズも極端に少ない。これ、みんな立って演奏してる?、よくある椅子のきしみが皆無。
コンプによる音上げもなさそうで、どこまでも自然な響きを目指しているのだろう。

良くないのは、前述したように、音楽としての流れが分断されていること。この曲の野性的なエネルギーは力を抜かれ、人の心の奥に潜む生命の躍動は起らない。

クルレンツィスの利点は、一点も逃さないスコア読み描写。まるでスローモーションのように音符が浮かび上がりますって、本人は喜ばないだろうけど;;
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2017年12月22日

バルトーク/中国の不思議な役人

オケ的な技でもバルトークのベストな作品だと思う。だけど、25分ほどの、この曲、集中力を持続するのは、とても難しい。
その点で、ストラビンスキーと何が違うのか、個人的な検証だけど。
ストラビンスキーは、野性的・本能的なエネルギーと直で繋がっているのに対し、バルトークは頭で思考パターンが入り、もう一度、本能的な躍動へと繋がる。その分、エネルギー量は減少し、エネルギーの向かう先は曖昧になり、どこへ向かうのか、何考えてるのか解り辛くなる。
たぶん、行く先不明なのだ。目的を見失った状態で集中力を持続することは難しい。
それでも、この曲が重要なのは、バルトークが持つ法則と、その表現が卓越しているから。

演奏者の手先の感覚を受け止めるには、それなりの音圧が必要で、Kotelnikovで感触は一変する。

裏を返せば、こちらの感性の未熟さなのだけど、録音物の世界、手段を選ばず。
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2017年12月20日

ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」

カルミニョーラ、ヴェニス・バロック・オーケストラ
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」
今まで聴いたことの無いような演奏で驚いてしまう。
バロック音楽は、独特な解釈があって、どうしても得意な人たちの演奏を聴きたいもの。
単に曲調が違うというのではなくて、何か染みついたものがあるのよね。
新しい演奏法なんて、そう赦されるものじゃなくて、その範囲みたいなものを想定して聴いたから、よけいに驚いたわけ。
カルミニョーラは凄い人だと思っていたけど、それでも過小評価、真に表現者だった。

1999年の録音らしいけど、この音も凄くて。
T70改になってから、高周波上げをしないで聴ける初めてのCD。
バイオリンの音は鮮烈で、やっぱり、ここまで高周波を上げないとリアルさは出ない。
自前リマスタは、間違ってなかったんだなと^^
それでも更に上げたけど;
posted by musf at 00:55 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月16日

ベートーヴェン/交響曲第6番、その法則と作法

作曲者本人によって田園という標題が付けられた事もあって、のんびりとした田園の風景を思い浮かべ、雰囲気を味わって”お終い”というのが想像できるけど、それは間違い。
これは、音楽によって田園を表現したのではなく、
田園から受ける情感を音楽として表現した、ということ。
逆なのよ。それを解っていないと拙いことになる。

何故その音があって、何故次に、この音がくるのか。
ゼロから作り上げる作曲者の法則と作法、その斬新な構造。
それがこの6番に溢れているのね。
それを理解するためには、情景を思い浮かべていてはだめなわけで、
普通じゃ有り得ない仕組みを学ぶためにも、
もう少し、この曲と向きあわないといけない。
posted by musf at 14:50 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月14日

(sw_last)というSFZ命令文があると、音が出ない

サンプルと一緒に入ってるSFZファイル、有難いのだけど、たまに、まったく音が出ない場合があって、何でだろと調べてみた。
”sw_last”という命令文が犯人らしい。
使用環境によるかもしれないけど、キーの範囲を制御するもので無くても問題ないので削除。
posted by musf at 00:50 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月06日

高周波上げは聴覚の衰えなのか?という不安

元はと言えば昨年831が壊れたせいで、T70を買い、バランスを求めて改造という過程。
素のT70は圧倒的に831より高周波は出ていたので、これ以上高域を上げたいという欲求で改造したわけではなかった。直したかったのは中高域、箱鳴りのキンキンした音。
これはアルミテープと耐震ジェルで、ある程度解決。更に、その派生からか、外耳道領域の鳴りが煩いので、それなら外耳道と同じようなパイプをハウジングに付けたら、吸収されるのでは?という発想からパイプ装着となった。
これが大間違いの大当たりで、パイプはどんどん太く長くなり、音質が向上、空間が細密になり立体化。
立体化というのは、それぞれの音の輪郭が明瞭になり浮き上がるような存在感を得たということ。
これが段々と高周波の役割だと解ってくる。
鮮明に高周波が再現され、無駄な高域はパイプに吸収される、そんな感じ。
で、この過程で気がついたのだけど、キンキンした音は全く無くなり、音全体が静かになってきた。
うるさい、という音が無くなったせいだろうけど、音が良くなると静寂感が増すという不思議な感覚。
それなら、CDの音そのものの高周波を上げたら、どう聴こえるのだろう?
そんな発想で作ってみたのが高周波上げの自前リマスター盤。
19kHzを上げた盤は、ゾっとする程、解像度が増し、音全体の立体化も更に上がった。
試行錯誤の末、19〜CD限界の22kHz付近まで上げ、手持ちのCDを次々に焼いていった。
今では通常のCDを聴くとハイ落ちに聞こえてしまう;;
何かと他人とは違う道を行く性格ではあるけど、聴覚の老化も回りくどい認識をしただけ、とは思いたくない;;
posted by musf at 23:46 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



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