2020年03月31日

音楽は聴くためのものか、演奏するためのものか、それとも・・・

作曲家は誰(何)のために曲を作っているのかという話。
作曲家目線(視点)で曲を聴いていると、何故その旋律なのか、何故その和声なのか、それを決定付ける要因を探ることになる。
クラシック音楽の作家たちは、今、私たちが捕らえる音楽の概念とは、かなり異なっていたはず。
録音物の無い時代、曲を売る手段は楽譜なわけだけど、それを買うのは、聴くためではなく演奏するため。
演奏しなければ聴くことはできないのだから、演奏=聴く、という事を改めて考えることもなかっただろう。
だけどね、そこは大きな違いがある。作り手の”何故”のなかには。
演奏は人間がやることなので、もちろん制約が出てくる。10本指の限界だけでなく、その動き方等。
合奏に於ては、それぞれの演奏家に配慮することも想像できる。あまりに僅かで面白みのないパートは嫌われるだろう。
どんな思惑があったにせよ、聴く側は、ただ、そこに音楽があるだけ。
時代は変わり、音楽は録音によって、演奏=再生、という新たな形を持つことになる。
それは、”聴く側は、ただ、そこに音楽があるだけ”という構造を継承することで、”何故”を見失うことになった。
個人がPCで音楽を作るなら、10本指の限界も、演奏に対する配慮もいらない。
そう、演奏家をスキップできる。昔の作曲家がやらないことをしてしまう。
それを悪いとするのも短絡的で、音楽そのものの中に演奏の制約があるのかという問題。
音楽が持つエネルギーは、いったい何なのか?
ただ、それだけで良いのかもしれない。
その先にあるのが、演奏家だけでなく、聴き手さえもスキップしてしまうことでも。
posted by musf at 02:24 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

音楽は聴くためのものか、演奏するためのものか、それとも・・・

作曲家は誰(何)のために曲を作っているのかという話。
作曲家目線(視点)で曲を聴いていると、何故その旋律なのか、何故その和声なのか、それを決定付ける要因を探ることになる。
クラシック音楽の作家たちは、今、私たちが捕らえる音楽の概念とは、かなり異なっていたはず。
録音物の無い時代、曲を売る手段は楽譜なわけだけど、それを買うのは、聴くためではなく演奏するため。
演奏しなければ聴くことはできないのだから、演奏=聴く、という事を改めて考えることもなかっただろう。
だけどね、そこは大きな違いがある。作り手の”何故”のなかには。
演奏は人間がやることなので、もちろん制約が出てくる。10本指の限界だけでなく、その動き方等。
合奏に於ては、それぞれの演奏家に配慮することも想像できる。あまりに僅かで面白みのないパートは嫌われるだろう。
どんな思惑があったにせよ、聴く側は、ただ、そこに音楽があるだけ。
時代は変わり、音楽は録音によって、演奏=再生、という新たな形を持つことになる。
それは、”聴く側は、ただ、そこに音楽があるだけ”という構造を継承することで、”何故”を見失うことになった。
個人がPCで音楽を作るなら、10本指の限界も、演奏に対する配慮もいらない。
そう、演奏家をスキップできる。昔の作曲家がやらないことをしてしまう。
それを悪いとするのも短絡的で、音楽そのものの中に演奏の制約があるのかという問題。
音楽が持つエネルギーは、いったい何なのか?
ただ、それだけで良いのかもしれない。
その先にあるのが、演奏家だけでなく、聴き手さえもスキップしてしまうことでも。
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音楽は聴くためのものか、演奏するためのものか、それとも・・・

作曲家は誰(何)のために曲を作っているのかという話。
作曲家目線(視点)で曲を聴いていると、何故その旋律なのか、何故その和声なのか、それを決定付ける要因を探ることになる。
クラシック音楽の作家たちは、今、私たちが捕らえる音楽の概念とは、かなり異なっていたはず。
録音物の無い時代、曲を売る手段は楽譜なわけだけど、それを買うのは、聴くためではなく演奏するため。
演奏しなければ聴くことはできないのだから、演奏=聴く、という事を改めて考えることもなかっただろう。
だけどね、そこは大きな違いがある。作り手の”何故”のなかには。
演奏は人間がやることなので、もちろん制約が出てくる。10本指の限界だけでなく、その動き方等。
合奏に於ては、それぞれの演奏家に配慮することも想像できる。あまりに僅かで面白みのないパートは嫌われるだろう。
どんな思惑があったにせよ、聴く側は、ただ、そこに音楽があるだけ。
時代は変わり、音楽は録音によって、演奏=再生、という新たな形を持つことになる。
それは、”聴く側は、ただ、そこに音楽があるだけ”という構造を継承することで、”何故”を見失うことになった。
個人がPCで音楽を作るなら、10本指の限界も、演奏に対する配慮もいらない。
そう、演奏家をスキップできる。昔の作曲家がやらないことをしてしまう。
それを悪いとするのも短絡的で、音楽そのものの中に演奏の制約があるのかという問題。
音楽が持つエネルギーは、いったい何なのか?
ただ、それだけで良いのかもしれない。
その先にあるのが、演奏家だけでなく、聴き手さえもスキップしてしまうことでも。
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2020年01月19日

昨年は・・・

荷作り半年、段ボール百個以上、トラック2台で引っ越し、東京を離れた。
不可能を可能にしたような気持ち。
一番驚いたのは、音が良くなった事。電気の質なんだね。東京の電気は汚れている。
車の通る音が少なく静か。風は部屋の中を通り、日当たりも良くなった。
中古のMIDIキーボードを買い、数年続いたレ、ファ、シの音が出ない環境から脱出する。


posted by musf at 13:49 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月25日

曲修正メモ:(Internal Windmill)、(Monologue)

Internal Windmill:
2年ぶりの修正。何が気になったかというと、序盤の輪郭。
ちょっとしたメロとリズムのアクセントを考え直す。
音圧も、やや上げる。

Monologue:
これも音圧調整。他の曲と合せるため。
第一テーマの2回目でメロを変える。様子見。

FlashPlayerでのmp3再生が、HTML5再生へとなってきたわけだけど、
やや3〜8kあたりが主役帯域なのはスマホ等の影響かしら。
空気感はFlashPlayerの方が良いのだけど、しかたない。
posted by musf at 08:17 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月21日

日本、IWC脱退

国際捕鯨委員会(IWC)から脱退し、勝手に商業捕鯨再開すると。
これって、捕鯨是非以前に、核開発やるのは自由だと言っている、どこかの国と同じことになる。
自身の醜さは見えない。
人としての視野の狭さ、認識のあまさを恥ずべき。
posted by musf at 04:58 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月20日

ヘッドフォンの片出しケーブルは是か非か

T70が片出しだったせいもあり、随分悩んでいた。
左右聴覚の違いもあるし、ほゞ聴覚上の差はないだろう。そう自分に言い聞かせてきた。
自分の耳では、左が強い。高周波が濁るわけではないが、空気感が透明で、音に対する集中は、つい左へ行ってしまいがち。

ちょっとした実験をしてみた。
片出しというのは、ケーブルが左ドライバへ最初に信号が到達し、その後、右へ行くわけだけど、右側は、その分、ケーブルが長くなる。
電気的な抵抗とかは詳しくないが、信号は同時ではないのだ。
それが許容範囲なのかどうか。人はそれほどの微妙な違いは認識できず、問題ないのか?
ということで、プラグの延長コードのような形式で、左側を50cm程長くするアダプターを作ってみた。

音は、変わった;;

多分、何がどう変わったかを説明するのが難しいのは、それだけ微細なものだからだと思うけど。
はっきり言えるのは、音の安定感のようなものに、ホっとしたこと。
たとえば、センターにくるボーカルがちょい左へズレて聞こえても、それで良いと納得できる。
クラシックのオケも調和のある音響空間に聞こえる。
自分の左右聴覚の違いとは別な問題が解消されたようなものか。

で、結論は、片出しはアウト!

当分は、今のまま聴いて、後に両出しに改造する。
右側ハウジングに穴を開けなくてはならない。
posted by musf at 03:59 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月03日

T70改メモ:イヤーパッド

t70-201812a.jpg
耳当りがゴツくなってきたので、そろそろ交換というか張り替え。なにしろ2kgの重さがあるので、当りの柔らかさは必須。
天使のファーという毛糸をニードルという針で刺していく。
これを繰り返していくと、自分の頭に馴染んでくる。
音は、かなり劇的に良くなる。もう既に、脳がヘッドフォンの音という解釈をしていないようで、とんでもない音が出てくる。
売り場で試聴すると、どんなに高価なものでも、ヘッドフォンの音だって聞こえるので、別物になっているのだと思う。
音が良くなるというより、音楽そのものが、まるで違った感覚で聴こえたりするのが凄いのね。

つくづく思うのは、今まで聴いていたのは何だったのか?
結局、その時点での自分の感覚を音楽だと思っていただけで、本当の(それがあるとすればだけど)音楽を聴いていたわけではない。
今も、また別の自分の感覚を聴いているだけなのだろう。
posted by musf at 10:46 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月01日

多重ベートーベン

交響曲のみだけど、ベートーベンを二つに分けてみる。

ベートーベンA:交響曲1、2、4、8、9
ベートーベンB:交響曲3、5、6、7

創作の世界には、”何故”と”如何に”があって、その法則で分割しているのだけど、ベートーベンAは、”何故”が固定され、”如何に”の世界で一つの流れがある。この順で曲を聴いてみると、何の違和感もなく続く。

ベートーベンBには、どこからか”何故”がやってくる;;だから、一貫したAの流れはなく、それを制御することはできない。
音楽は音である。何故その音なのか?そう問われたとき、それは果てしない未知の世界へと繋がる。

深淵な頭脳の中で、何が起っていたのか。
それを問う術は、徐々に失われていく。

posted by musf at 14:46 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月21日

メモ:Biscuits修正

2年以上の期間を経て「Stable Shadow」完成直後、もう創作意欲も無くなるんじゃ?、という気持ちの反発で作ったのがBiscuitsという曲。
こちらは、一週間ほどで作った曲。まだまだ大丈夫じゃん、という感じだったけど、今は低迷期;;
あれこれ試す時期でもあるけど、その前にBiscuitsの修正。
気になっていた後半部を書き換えた。
posted by musf at 07:35 | Comment(0) | Music Creation | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



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